月ヶ瀬の「食」を楽しむ – 月ヶ瀬とは

月ヶ瀬とは

古の歴史が花開く

鎌倉時代、菅原道真ゆかりの梅の木が始まりと言われる月ヶ瀬の梅。
日本政府が最初に指定した名勝のひとつに数えられる月ヶ瀬梅林は、
V字谷の斜面に広がる梅林が特徴。
その風光明媚な景色は、多くの文人や墨客を魅了しました。

奈良時代から連綿と続く文化

奈良時代から大安寺などの荘園として、また、杣地として発展。
平安時代、江戸時代、明治時代と様々な勢力に影響を受けながらも、
「鳥梅」や「奈良晒」等、現代にも当時の技術が伝えられています。

月ヶ瀬の地理

奈良市月ヶ瀬は、奈良県の最東端にあり、北は京都府南山城村、東は三重県伊賀市、 南は山辺郡山添村に隣接した、約1,500名の住民が暮らす地域です。

地域の中央部を木津川上流名張川が東西に流れ、名張川下流の五月川は深いV字谷を形成しています。
V字谷の斜面に広がる梅林は「月ヶ瀬梅林」として古くから有名な景勝地で、日本政府が最初に指定した名勝のひとつ。

ダム湖「月ヶ瀬湖」の湖水と梅林をはじめとした四季折々の植物との調和が
風光明媚な景色として訪れる人々を魅了しています。

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月ヶ瀬おすすめスポットマップ

月ヶ瀬の歴史

奈良時代から大安寺などの荘園として、また、杣地(ソマチ)(南都の大寺の建築用材を切り出し、 木津川水運を利用して木津から奈良まで運ぶための地)として発展。平安時代以降は、 興福寺(春日大社と一体)の勢力範囲で荘園化され、中世期は在地土豪の支配下となりました。

江戸時代になると当初大和郡山藩になり、その後幕府直轄領いわゆる天領隣に、 また再び69年間大和郡山藩の領地となり明治を迎えました。
江戸時代は年貢納入の取立ても厳しい上、農地がせまいため在所の人々の生活は困難を極めましたが、 米に代わる収入源として、梅林の実で製する「烏梅(うばい)」の供給、 副業として女性が従事した奈良晒(ならさらし)の生産によって生活を支え、 現代もその技術を受け継ぐ活動が行われています。

行政的には明治維新後、1888年(明治21年)に奈良県が誕生し、 翌年1889年4月に石打・尾山・長引・月瀬・桃香野の5ヵ村が合併して月瀬村が誕生しました。 その後隣村の嵩が月瀬村に編入されました。

梅林の衰退が続くも「梅の花のシーズンには東京の文壇がからっぽになる」と言われるほど多くの文人・墨客を魅了した月ヶ瀬梅林は、 鉄道の開通や新聞の宣伝で観光地としての月ヶ瀬が一般化しました。

近年は賛否両論上がる中「平成の大合併」に伴い、2005年4月、月ヶ瀬村が奈良市に合併。住所は「月ヶ瀬」の名前を残そうと、 「奈良市月ヶ瀬〇〇」というように表記するようになりました。