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月ヶ瀬の正月を支えるしめ縄職人 
德家眞さんインタビュー

月ヶ瀬桃香野で長年しめ縄を作られている、德家眞さん。
しめ縄を作っていた父親が亡くなられてから眞さんも本格的に作り始め、父親と同じ作り方で技術を受け継いておられます。

最初は地域の人たちからの要望で作っていたそうですが、段々と需要が増え、今では地域内外で販売し、月ヶ瀬のお宮さん・お寺にも奉納されています。
作業場に行くと、たくさんの藁(わら)と水引(飾り)がフロア一面に用意されていました。
一人で大量のしめ縄を作られており、お宮さんへ奉納するもののなかには、全長3m60cmのものまであります。
毎年心斎橋などを見て回り今のトレンドを調べ、長野県飯田市に水引を注文するなど、常にどんなしめ縄が求められているかも考えておられます。
ちなみに写真にある梅の花は、奥様が手作りで染めて作られたもの。

月ヶ瀬での伝統的な作り方は、
右側に株、株から7本・5本・3本と藁をくくります。
伊賀から東になると株の向きが逆になり、伊勢神宮などでは月ヶ瀬と反対向きにしめ縄がみられます。
最近では、7本・5本・3本だと見た目が寂しくなるため、本数を増やしボリューム感のあるものを作っています。

「しめ縄」は、
「七五三縄」と書いて「しめなわ」
もしくは
「注連縄(ちゅうれんなわ)」が本来の名前だといいます。
めでたい縄として厄除けの意味を込め、昔は家中の出入り口など家を取り囲むように飾られ、車や農機具にも付けていました。

桃香野では、八幡神社の神様を毎年3人の「当屋」さんによって各自宅で保管し祀る制度があり、桃香野の家の神棚には德家さんのしめ縄は欠かせないものとなっています。

「昔はゴムや針金のようなものがなかったから、多くの日常品は藁で作っていました。藁が必需品だったんです。しめ縄も各家庭でみんな作っていたと思います。
昔はわら草履で暮らしていて、雨の日になったらすぐダメになるので、毎日のように自分で作っていました。
昔は縄跳びも藁で作られていました。

子供の頃の運動会では、徒競走のコースの途中に藁が置いてあり、それを結んで縄を作り、なわ跳びしながらゴールに向かうというような障害物走や、
米俵(60kg)を背負う競技など、運動会で藁や農作物を使った競技がたくさんありましたよ。」

毎年小学校などで講師としてしめ縄づくりを伝えていく活動もされており、
「毎年楽しみにしてくれている人や、地域で必要としてくれている人がいるので、面白い仕事です。」と德家さんは言います。

全ての作業は、手先や体の感覚で調節し結んでいるという。藁を紡ぐその手に、長年の経験と技術が体に染み込んでいます。

しめ縄は、月ヶ瀬の正月の風物詩として今年もたくさん作られています。

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